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潔く格好良く生きていこう

私にもいずれ彼らのように心が折れ立ち上がれなくなる日が来る予感はある。 しかしそれは今日ではないしとりあえず明日でもないつもりだ。

ドライヴの傷跡

やる気特集へようこそ。これは、これまで散々語られてきた私のやる気に関する記事(例えばここここで断片的に語ってきた)の現時点での解答を出そうという三部作の記事の一作目だ。それらの記事はそれぞれ《ドライヴの傷跡》(この記事だ)、《ラックドライヴ》《横溢するモラール/新たなるアストレイという名前で呼んでいる。君はそれぞれの記事のタイトルを見て「ん?」と思ったかもしれない。そう、3つ目のタイトルだけ二つある。これは両方を書くと言うことではなく現状維持陣営と堕落陣営に分かれて戦争の最中で、まだその勝者がどちらか公表できないということである。もし私がこれからもやる気を持って生きていくことができれば《横溢するモラール》、堕落するようであれば《新たなるアストレイというタイトルの記事を書くだろう。
私の気まぐれを知る人間であれば「3つも記事を書く前に飽きて次のことを始めてしまうんじゃないか?」と考えることだろう。その感想は非常に蓋然性が高い、つまり正しい予想だと考えている。私自身、おそらくこの記事だけでこのシリーズは終わってしまうのではないかと考えているし、2つ目を書くことはあるいはあるかもしれない、平行世界のどこかの私は書くだろうし、それはあるいはこの世界の私かもしれない。だが、3つ目を無事書き上げることは絶望的で――――あるいはどの世界の私もそれを書くことはないかもしれないとまで私は考えている。この事実に対処する必要は今のところ感じていない。ただ、一つ一つの記事がそれだけで読む価値のあるものになっていないといけないだろう。
さて、前置きが長くなってしまった。それではやる気特集に入ろう。


これまでの議論

さて、今回の話に入る前にこれまで行われてきた話を少しばかり振り返ろう。
詳しくは同じことの繰り返しになるので説明しないがこれまで私は「努力しても無駄だったことの経験」がやる気を生まないということを主張してきた。(それは例えばこの記事で読むことができる)それは学習性無力感/learned helplessness と呼ばれるものだ。
さて、次は私の話だ。私は私のやる気のなさを常々問題視してきた。それはもちろん、やる気が充分な量あれば様々なことが上手くいくだろうということはある。しかし、それは同時に夢物語でもある。私にとってやる気の問題はもっと目先の、簡単に解決できそうな問題を持っている。それはつまり、遊ぶ時間や寝る時間の確保ということだ。
例えば3時間で終わると予想している作業があったとして、それの〆切りが6時間後だったとしよう。最善の選択肢はまず3時間かけてそれを行ない、終わり次第余暇として寝るなり遊ぶなりするということだろう。しかし、私はそれができない。ならば6時間遊ぶ?いいや――――それも私にはできない。私はまず3時間で終わると予想しているが3時間で本当に終わるかどうかわからないためにまず手をつけてみる。しかし、〆切りは6時間後だからおそらく余裕だろう、だからやる気もしない。だから本気で遊ぶでも寝るでもなくなんとなくダラダラと作業準備だけして過ごして、そして残り3時間になって初めてやる気を出す。私はそういう人間なのだ。
例えばやる気を出すことによってこれまでできなかった偉業を成し遂げるというのならそれは困難への挑戦だが、3時間ばかりの余暇を作ることは解決可能な問題に私には思えた。


新しい問題

さて、結局の所これらの問題というのは



飽きた。いつものように、私のこのやる気に関する見解についての諸君の見解を楽しみにしている。コメント欄、メール、Skype、各ソーシャルメディア(TwitterGoogle+、はてなハイク)で聞かせて欲しい。
それではまた次回、《ラックドライヴ》でお会いしよう。