飛べない以前の問題ー、心が折れた天使さー

ボクが一番アタマイイに決まってますよ。そんなコトも分からなかったんですか? 失礼ですね!いいです、許してあげます!その代わりにボクがアタマイイって証明するの手伝って下さいね!

書きかけの各話感想があった気がするけど気が乗らないから普通の更新。
なんていうかここで次は各話感想の続きだ、って決めたら二度と更新しなくなる、そんな気がするんだ……。気が向いたらやるくらいの軽さでちょうどいい。
前期アニメの話をしたから今期アニメの話をしようかと思ったがひだまりをぼんやりと1話みただけでなにがやってるとか全然知らないのでいいや(ひだまりも放送当日に知った)。
あと、Markdown記法の使い方一通り読んできたけど(英語だからかなり精度の低い斜め読みだけど)これ英語で書いてる人が便利な道具であって実は日本語だとそうでもないんじゃ……。具体的に言うと改行を多用したい人はめっちゃ半角スペースを多用しなきゃいけないけどこの量だとわざわざShift押すのたるくねー?ってあたりとか?これ私が無知なだけでなんかもっと上手いこと運用できるのかしら。

あと誰かに「ブログ更新してください」って言われた気がするから更新せんと。11月までツイ禁したいとか言ってたから協力としてTwitterで見かけるたびに「いつ11月になったんですか?」とかリプライ投げてるけど、あんまりやると「蝉さん僕のこと嫌いなのかな……?」って思われそうだからね!ブログを更新するくらいしよう!


たまに僕は【自称・アタマイイ】(ソシャゲ風表記)をやるのだけれども、これってむしろ挫折じゃないか、とか最近ふと思ったという話でもしようか。僕は前に書いたように「頭のよさ」という概念はあまりに広い意味を持ちすぎるし、「頭がいい/悪い」自体はどうでもいい話だと思っている。もちろん、文脈毎に議論は変わってくるし、文脈もなしに「頭がいい/悪い」という話題が出ることもないので生の「頭がいい/悪い」どうでもいいという話が実は一番どうでもいいのだけれども。

それはそうと【自称・アタマイイ】人をやってると、やはりそれなりに調子乗ってるなうぜぇみたいなこと言われるし、ぼちぼち嫌われる。だから基本的には「いや自分頭悪いんで……」みたいに生きるのが無難じゃないかな。実際、インターネッツの学生ではそっちが主流だと思うしね。それに、すごい人を捜せばいくらでも見つかるしね、自分が頭悪いと感じるのも自然な話だろう。実際問題まあ、頭悪いと自称するのが無難で多数派だからあえて逆らって【自称・アタマイイ】してるところはあります。

まあ、でもそれが人並み以上に自信家で調子に乗ってるかというとそんなことはないと自分では思うのですよね。まあ、もちろんそういう風に見られることくらいわかってて言ってるからそういう風に見られるのが我慢ならなくて言ってるわけではなく、実際のところ、という話。
しかしだね、例えば君はインターネットをやっていて「あ、こいつ馬鹿だなあ」って思ったことがないかね。ないとは言わせないぞ。いや、ないと言ってもいいがそっちのほうがより傲慢なのではないかと僕は思う。
実際問題ね、馬鹿というのはすごく発見しやすい。迷惑なキチガイと僕ら呼んでる彼らは、声が大きくかつ迷惑で話題になりやすい、その結果として望む望まないに限らずにインターネッツにどっぷり浸かっていると彼らは視界に飛び込んでくる。まったく、一次迷惑なだけでなく二次迷惑な話だ。
まあ、これを読んでる君がどう思うかはともかく僕は「ああ、この人は馬鹿なんだな」と思う相手に頻繁にインターネッツで遭遇している。それを傲慢と呼ぶのならそうなのだろう。とはいえここを読んでるような人は多分僕と同じでそういう風に感じてるじゃないかと僕は推測するけど。
なんにせよ頻繁にそういうこと考える癖に「僕頭悪いんで……」みたいなことを言い続けるのは不誠実だし、リスクをおそれたダブルスタンダードで如何にも気持ち悪い――――と、いう話をしたいわけではない。

さて、それでは【自称・アタマイイ】をやっているこれが実は挫折だと言う話だ。実のところ自己評価というのはね、裏返せば「自分はこんな層に所属していると思っている」という感覚だと思っている。
例えば僕の高校生の頃の友達に自他共に認める「勉強が出来ない」というポジションの人がいた。しかしだね、学力偏差値は50を超えてるし全国平均よりかは点を取っているんだよ。つまり彼にとって「自分と比べるべき相手」は「同じ高校の仲良くしている人たち」だと思っているからそういう風になるわけだね。
逆に頭のいい人が「僕頭悪いから……」というときはそれは、自分より頭が悪い迷惑なキチガイどもは自分と比べる相手だと思っていないからそういうことが言えるわけだよ。本人は別に見下してるつもりはないんだろう、ただ別の世界の人間であり自分と比べるような相手ではないとそう考えているだけだ。見下すというのは結局の所、自分と比べる相手が自分より下だからやる行為だからね。猿と比べて自分は頭いいと誇る人間もいなければ、ノーベル賞受賞者と比べて自分は馬鹿だと思う人間もあまりいないだろう。
そりゃあ自分より頭いい人なんていくらでもいるさ、教授だろうが有名人だろうがあるいはインターネッツで目立っている相手だろうが。自分はそういう人間と肩を並べ、彼らと同じフィールドで戦う人間だと自分の事を思っているからそういう人と比べて「ああ、なんて自分は頭が悪いんだろう」と思うわけだ。
それはきっと、素晴らしいことなのだと思う。でも僕はもう脱落してしまった。小学生の頃、星新一のエッセイを読んで「ああ、なんて頭がいいんだろう。それに比べて僕と来たら」と思ったっていうかわいいエピソードが僕にはあるんだけどね。もう星新一のエッセイを読んでも僕は劣等感など感じられない。彼は僕にとってもう「別世界のすごい人」であり、比べる対象じゃないからだ。
僕は凡人だからね、僕と比べるべき相手はあの迷惑なキチガイどもなんだよ。僕は彼らと同じフィールドに立っているから彼らと比べて自分の事を「頭いい」などと言える。

さて――――ここまで読めばわかるだろうけど、僕は実際に傲慢だ。だけど、インターネッツで迷惑なキチガイどもを馬鹿だと思いながらも自分の事を「頭が悪い」と素直に信じているような人間とか、あるいはもはや彼らのことを馬鹿だとすら思わないような人間と比べて、どちらが傲慢だろうか。
いや、責めてるわけじゃない。どうか君たちは「頭が悪い」まま生きてくれ。それは僕にはできないことだから。どうか、自分よりすごい人と自分を比べ続けて、競い続けて生きてくれ。
君ならきっとできる。戦い続けられる。僕を見下してくれてもかまわないし、見下す対象とすら思わなくてもいい、どうか上を見て、決して折れず、挫折せず、劣等感にさえなまれ続けながら生きてくれ。
その劣等感と焦燥感がきっと君の翼だ。