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香奈っ、いつか恋もっ終わりがくるーのだーかーらー

あんた、言葉と話したいのかその奥にいる人間と話したいのか、どっちだい?

本当の頭の良さとはなんぞやという会話をしている人がいて外から見ていてイライラしたのでそのへんについて書きます。
いやまあ、まあね?
○○とは××のことだって言葉はだいたい「はいはい、ではそういう定義だとこの議論中はしておきましょうか。それでなにが主張したんです?」ってなっちゃうというか。だいたいどんな定義が来ても言葉遊びというか。「はいはいお前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」の一言で済むような話になっちゃう気がするのだけれども。
と、いうか本当の頭のよさとはこういうことだという言葉は貴方の伝えたいことを精確に言い表すのはその言葉じゃないですよって感じあるし、本当の頭のよさとはなんだろう?って質問は貴方の疑問を解消する質問の立て方はそれではありませんよって感じがあるのだけれども。
まあそういう掘り下げてもあんまり宝が埋まってなさそうな話題ではあるけど言葉遊びとかじゃなくてちゃんと相手の心と話しましょう。彼らが本当はなにが言いたかったのか考えてみましょう。


とりあえず整理すると頭が良い/悪いって概念はスカラーよね。つまり、「すごく良い」と「すごく悪い」の間に全ての頭が存在するみたいな。それでまあ当然のことだけどまあ一般に頭って数直線上に表せないようなものなので、それを数直線上に表せる軸とはなんぞや、というのが本当の頭の良さとは?という問題なわけです。例えば理論的に物事が考えられることこそが頭のよさであるとした場合理論的/非理論的の軸に乗せてしまってそれ以外の要素、例えば歴史に詳しいとかひよこの雄雌が鑑定できるとかそういうのは関係ありませんよ、と。


なんの話がしたかったんだっけ。


まあぶっちゃけ頭の良い悪いとはなんぞやってお話はわりと興味ないというか意味ねーなー、って思うわけだけどそれに意味があると思ってやっている人もいるわけよ。そういう人がなにを考えているのかしら、っていうのが多分話したかったこと。
で、まあそういう議論をする人は多分頭がいいっていうのは素晴らしいことだ!って考えてる思うのよ。世の中にはまれに頭がいいなんてことになんの意味もないねって人もいるわけだけど、そういう人たちは多分本当の頭のよさとはなんぞやみたいな話で盛り上がらないでしょう
でもわざわざ本当の頭のよさという言葉を使うということは、偽物の頭のよさがあると考えてるはずなわけです。つまり世間一般の頭のよさみたいなものに懐疑的なのだと考えられます。
世間で言われてる頭のよさ、例えば勉強だとかそういうのはなんの価値もないけど本当の頭のよさというものがありそれは価値があるものだ、とかそんな感じで。


こうして考えるとなんとなく本当の頭のよさとやらの正体も見えてきます。
おそらくですがそれは彼らにとって価値があるものなりたいものなのです。
例えば本当の頭のよさとは幅広い知識を持つことだと言っている人はおそらく幅広い知識を持つ人を俺は尊敬するし、そういう人間に俺はなりたいと考えているのです。
人の役に立つのが本当の頭のよさだと言っている人は人の役に立つことこそ価値のある行ないだと考えているし、人に優しくできるのが本当の頭のよさだと言っている人はそういう人にそばにいて欲しいのでしょう。


つまり彼らは本当の頭のよさとはなにかというテーマを通して価値のある人間とはどういう人間かというような議論をしていたのだと思います。彼らの戦いはそういう代理戦争だったのではないかと思うのです。


もちろん、ダンベルを持ち上げられることが素晴らしいことだと思っている人間でも本当の頭のよさとはダンベルを持ち上げることだとは言わないでしょう。
まあそういう言葉の境界はどこかみたいな議論も含むわけですが、それは前述の理由で私は興味持てないのでいいや。


で、私はなんの話がしたかったんだっけ。