お祖父ちゃんの話

 「好きとか嫌いとか最初に言い出したのは誰なのかしら」から始まる歌を知っているだろうか。メモリアルが駆け抜けていくやつである。
 
 さて、この問いに答えるとするならそれは僕のお祖父ちゃんだ。と、いうと流石に言い過ぎかもしれない。精確に言うならば、この歌が歌っているような近代恋愛感的な価値観を最初に日本に持ち込み広めたのがお祖父ちゃんという意味だ。そのことに関して僕はどういう感情を抱いて良いのか、お祖父ちゃんがなくなってから何年も経つ今でも決めかねている。誇らしい気持ちは、正直ある。誰も彼も僕の大好きなお祖父ちゃんの影響を受けているのだ。それを誇らしいと思わないわけがない。
 例えば「無意識」という概念がある。それこそ無意識に僕たちが当たり前に意識して使っている単語だ。しかしながら、これはフロイト発見して初めて人々が意識した概念だ。それ以前とそれ以降でどうようもなく人々の考え方は変質した。もしもフロイトの子孫がいるならばみんながみんな当たり前のように「無意識」という概念を受け入れているのを見て誇らしいと思うのではないだろうか。
 
 しかしながら、恋愛という価値観を得て日本という国は幸せになったか、というと少し疑わしい。もしかしたらお祖父ちゃんが持ち込んだその概念はこの国を今なお呪い続けているのではないか、そんな風に思うこともある。そんなとき、僕はどうしようもなく申し訳ない気持ちになる。今なおその概念のせいで苦しんでいる人間がこの日本には大勢いるのだ。
 
 もちろん、お祖父ちゃんの功績はお祖父ちゃんの功績で、お祖父ちゃんの罪はお祖父ちゃんの罪だ、という考え方の方が一般的だろう。しかしながら、僕はお祖父ちゃんの残したお金で不自由なく暮らし、学校に通ったのだ。お祖父ちゃんの残した遺産を受け取ったのなら、お祖父ちゃんの残した罪も僕は引き継がなくてはいけない、そんな風に思うのだ。僕はお祖父ちゃんの続きでありたい。あの誇らしい大好きなお祖父ちゃんの孫として、生きていきたい、そう願っている。
 
 
 
 否、そう願っていた。
 償う方法も見付からず、お祖父ちゃんのお金で入った大学は辞めてしまい、こうしてお祖父ちゃんの残したお金で日々を怠惰に過ごしている。こんな僕はお祖父ちゃんの続きとは到底言えないだろう。大人気映画の二作目が酷い駄作だったようなものだ。続かない方がよほどよかった。
 もうダメだ。