Sailing my sea!

私は途中で飽きて放置するのを恥とは思わない。飽きて放置したのはそれだけ「飽きるかもしれないこと」に挑戦したっていう証だから。きっと真の失敗とは開拓の心を忘れ、恥をかくのをおそれて、新しいことに挑戦することに無縁のところにいる者たちのことをいうのだ。



よーし、時間できたしとりあえずさっくり更新するぞー!
とか思ったけどなんだろ、いや、「更新するぞ」って思えば30分くらいでさっくり更新できる気がしてたけどイマイチ書くことが思い付かないぞ……?
とりあえず徒然なるままに最近ぼんやり考えてることでも書きます。多分これ同じテーマで自分よりよっぽどちゃんと考えてる人がいくらでもいるし、このテーマを忘れないであと1ヶ月とか半年とか1年とかそれくらい眠らせたら記事になるくらいのちゃんとした思考になるかもしれないけど現段階では本当にアイデアメモ的なものでしかない。これ「えっ?それ書くの?」みたいな感じがある。
まあでも、"人に公開する発信としてのブログ"を忘れて"日記"として考えるのなら、「今この瞬間こういうことを考えてる」的なメモを残すのは自分にとって悪いことじゃないし?それにまあコミュニケーションツールとして考えるなら今考えてることを書いたらいい感じに意見とか貰えるかもだし。
そういうわけで私にはいいことがいっぱいなので書きます。私の記事から得るものがある人は得てくれればいいです。インターネット文化ってそういうものよね、多分。



私って構築型カードゲームが好きです。いやまあ、正直もうお金落とす気がしないんで業界にお金落とさない人間が、そのへんについて語る資格があるのだろうか……、って思いが正直あるのですが……。
構築型カードゲームってあれです、遊戯王とか、M:TGとか。遊戯王の魅力についてはいつかめっちゃ語りたい。遊戯王の市場における圧倒的ユニークさとクソゲーさについて語りたい。語れば語るほど「えーと、つまり遊戯王ってクソゲーって話をしてるんだよね?」って言われながらも「いやクソゲーだけど?酷いクソゲーだけど?いやでも違うんだよ、お前は勘違いしている」って言い続けたい。
閑話休題。
カードゲームはめっちゃ面白いけど時間を無限に食う沼なのよね。私はこれまで何人もカードゲームに誘ってきたけど入り口まで誘ったらあとは見守ることに決めていた……カードゲームをやる人は一人で時間を捨て続ける理由を自分自身の力で見つけなければいけないんだ……。いやまあ、外部刺激がないとカードプールからデッキを組もうみたいなインスピレーション?的なものも湧かないから適度に新しいデッキと戦う環境は必要かもだけど。まあいいや、この話題も閑話です。
本題としては構築型カードゲームって面白いけど計算機を使ってカードゲームをやるのってどうなんだろうなー、とか最近考えてた。つまりまあ私の好きなカードゲームっていうのは創造性的なものというか、「己の戦術を相手に見せる」っていうのと「ランダム性」っていうのだと思うのです。ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社さんのデザイン用語を使うのなら私は"ジョニー≧ティミー>スパイク"くらいのバランスなんだと思います。(別にこの用語について知る必要はないけどこの用語について知りたい方はこちらあるいはこちら(さっきのリンクの和訳))だから多分私はポケモン対戦とかも真面目にやれば熱くなれる気はするのです、育成とか面倒そうだから多分やらないけど。私がやりたいのは育成のない構築を考えたら即座にパーティが組めるポケモン対戦なのかもしれない。
カードゲームがカードを使うのってぶっちゃけた話、現実世界は乱数が発生しないからだと思うのですよ。いや、サイコロ振ったりコイン投げたりできるけど。実際、物質のカードをシャッフルしたりしなくても対応表とサイコロさえあればまあカードゲームを再現することは可能なわけで、それが面倒だし戦術構築による面白さの実現とランダム性の付与が一番簡単なのが、裏面のデザインが統一された紙の束を重ねてシャッフルして引くってこうどうだからカードゲームなのだと思うのです。
あとはまあ商品として売るためのデザインって面も大きいんだろうけど。それは「とりあえずこの話の中で私が語りたいカードゲームの属性」ではないからちょっと触れないでおくね。実際そういう商品であることがメタ的に生み出す魅力っていうのも大きいんだけど、それはほら、お金を落としてない私が語っていいことがどうかわからないし……。
まあ、とにかくカードゲームという形式は「乱数が発生しない現実世界において乱数を発生させるための物質的制限」とも見れるわけで計算機で遊ぶ上で「カードゲームの面白さ」を実現するために「カードゲーム」である必要はないよなぁ、的なことを考えていたのです。
で、「カードゲーム」でなくなることで何から解放されるかというと「デッキ構築がかなり時間かかる!」っていう部分から少しは解放されないかと。遊戯王における40~60枚でデッキを組む、とかMtGの60枚以上でデッキを組むっていうのはそれくらいの枚数がないと特定のカードが引けすぎてしまうみたいな制限からあるわけで、乱数が発生する世界においては60枚ものデッキを組む必要はないんじゃないか、と思います。どのみちランダム性がある以上ギリギリまで色々調整しなきゃいけない感じはあるけど、少なくてもハードルは下がるのではないかと。 いや、まるで今この世界に「カードゲームの面白さを持つ電子ゲームがない」かのように語ってるけど山のようにあるのだけれども。そのへん自覚的にカードゲームの面白さを目指しつつ電子世界にしかできないことを目指したら面白いことができるんじゃないかなぁ、と。カードゲームはめっちゃ歴史があって色々とノウハウがあるけど、そのノウハウを生かしてカードゲームをやったんじゃ既存のもの超えられないので、ノウハウをパクりつつカードゲームには実現不可能な電子ゲームさを生かしてハードルを下げさせられなか、みたいな?

あとは電子世界に移住することで可能になるのは「不正できる状況で不正を防ぐこと」と「同時に選択させること」かなぁ。上手く表現できんのだけど。 「不正できる状況で不正を防ぐこと」は例えば物質カードゲームだと「デッキから○○という条件を満たすカードを手札に加えてもいい」とかいう効果を使ったときにデッキから加えるカードを相手に見せなきゃいけないのですよ。つまりまあ「デッキ」も「手札」も相手に非公開な領域だから、非公開な領域から非公開な領域に移るわけだけどそれだと不正できちゃいますよね?みたいな。相手に見えなかったらなんだって手札に加えられますよね?みたいな。こういうとき計算機世界だとゲームマスターなんかいなくても制限かけ放題よね。
「同時に選択させること」っていうのはようはジャンケンさせることです。いやまあ、「現実世界でジャンケンできるじゃん」って思うかもしれないけど、ジャンケン以上に複雑なことはできないよなー、みたいな話。プレイヤーAが「aは攻撃b防御」っていうのとプレイヤーBが「cはbに攻撃」を同時に選ばせることができなくてどちらかが宣言して、どちらかがそれに対応するみたいな形にしかできないよなー、みたいな。電子世界だとそのへんの決断を一時保存して同時に公開させることは可能れす。



いや、まあ高校の時は「誰にも公開するつもりのないゲームをペモペモと作ってたたらいつのまにか土日が終わってた」みたいな過ごし方をしてたけど今はそういうガッツはないのでこのへん考えても形になることはないだろうけど。考えるだけ流すだけ。
構築型カードゲームのAIって難しいよねー、的な評価関数の話みたいなのがあるけどそれは書かなくていいや。おしまい。

ところで囲碁でモンテカルロ木法が既存のAIよりめっちゃ強いみたいな話を聞いたとき「えっ?えっ、えぇぇ」みたいに思いませんでした?