コマソンだキャンペーンに連ドラ

その人を知りたければその人が何に対して怒りを感じるかを知れ
――――冨樫義博<HUNTERxHUNTER>


また嫌いなものの話をします。はー、「このブログ書いた人、感性鋭いなって思うけど基本的に「~は嫌い」って形で発揮されててしんみりする」ってコメントされたの、2013年の5月ですよ2013年の5月、ここまで長い間人の心に刺さるコメントができて、さぞや言った人も満足してるだろうなぁ、って思います。
いやまあ、実際には嫌いなものについて語っているわけではなく嫌いなものを通した自分語りですけどね。あまりに興味の中心が自分でたまに「こいつどれだけ自分の事が好きなんだよ……」みたいな気持ちになります。みなさんも私のこと好きになってください。



今回の嫌いなものは「売り上げ厨」とか「売り豚」とか言われる人たちです。インターネットでまれにみる、なにかにつけて売り上げの数字を見て大勝利とか爆死とかオワコンとか言い出す人たちです。死ねばいいのにね。
売り上げの話をする人ってそんな信念強度を感じないんですよね。いやまあ、私が自分から売り上げについて語られている場に行ったりしないからガチでそういう信念を持っている人と遭遇してないってだけかなー、とか、共感できないから彼らが馬鹿で信念がないという物語を自分の中に作って納得してるだけかなー、とか思わなくもないんですけど。
本気でそういう信念を持って生きてる人がいたなら、その強さに感じ入るような気もします。
もしも売り上げ厨と呼ばれる人が、ハンバーガーとコーラを飲食しながら「ハンバーガーとコーラは売れているから美味しい」って聖書片手にビング・クロスビーのホワイトクリスマスをBGMとしてかけながら、Nokia 1100で電話をかけてきたらその瞬間あまりの強さに打ちのめされると思いますね。ああ――――勝てねェなぁ……ってなると思います。
だいたい「この作品をみんなで馬鹿にして一体感を出そう」とか「みんな駄目だと行ってたんでとりあえずその風潮に乗ろう」とか「肯定したいという結論が先にあってそのために売り上げを持ってきた」とかそういう感じに見えるんですよ。
逆に自分の主張を通すために売り上げというデータを持ってきてる、とかならそれはそれだと思うんですけど言っている瞬間だけ信じてそうなのが嫌いですね。市場規模が狭い分野の中で売れた売れない言ってないでまず市場規模がでかい分野にいけよ。


さておきさておき、これを言うと「そりゃあ君は馬鹿が嫌いだしそういう人嫌いでしょ……知ってたよ」くらいに思われると思うんだけど、あくまで一番目立つというか代表として上げたのが売り上げ厨的な人たちであって、風潮みたいなものにたまに違和感を覚えるんですよね。
こう、そこまで極端な例じゃなくても、わりとインターネッツの人たちの間ですぐ売り上げがどうとか不人気がどうとか言い出す空気があって前々から「あ?手前らはスポンサーか?プロデューサーか?違うのなら少し黙っとけ」みたく感じてたので。そういう長年の不快感みたいなものの代表としてボロクソに言ってみただけです。



でー、ようやく本題の自分語りパートです。
ここまで書いたのを読んでそれなりの数の人は「いやまあ君が嫌いな理由はなんとなくわかったけどそんないちいち怒るほどのこともなくねー?」くらいの感じだと思うんですよ。理解はできたが共感はできてない、みたいな。
いや実際、私も自分が書いた文章読んで「はー、なんだこいつ……」くらいのテンションですからね。この程度の苛つきオブジェクトっていくらでもインターネッツには転がってるじゃないですか。いちいち取り上げるだけの価値があるかー?って感じです。

なので自分でも「あっれー?こいつなんでこんなに怒ってるんだ?」って考えてみたんですよ。仏陀も「瞑想あるところ知恵あり、瞑想無きところ知恵無し」って言ってたらしいですしね自分の意識の流れを知るのとても大事。
まあ、私ってオタクじゃないですか。この場合のオタクはいわゆるオタク趣味を持っている人を指す言葉として使っています。アニメとかライトノベルとかノベルゲームとか消費する人です。昔からそうでした。
で、オタクは差別されているとか言い出すつもりもないですけど、まあ権威側でないことは確かじゃないですか。普通に生きてるだけで世間から否定されたり嘲笑されたりし嫌悪されたりてるように感じる趣味みたいなところはあると思います。少なくても私は昔そうでした。
そこから、「否定されたくない」という心が芽生えて、私は蛮族のところでも触れたような「自らの文化を数ある文化の一つして相対化し互いに相手の価値観を尊重しなければいけない」みたいな方向に傾倒していったのかな、と思います。
もう違いますけど、一時期はなにも否定できない人みたくなってましたからね。
今でも自分が全然好きでもなんでもないものでも知性なさそうな人に否定されているのを見ると腹が立ちますし。けっこう、私の価値観形成の根のひとつっぽい部分かな、と思います。今はこんなに喜々として馬鹿め死ねって人間になっちゃってますけどね。うけるー。

で、そういう風に考えてみると売り上げ厨的な方向というのも私の前に拓かれていたのかな、と思うんですよね。
いわゆる娯楽作品がハイカルチャーと対抗するという道のひとつに「多くの人に愛されている」という道はあると思うんですよ。
例えばまあ、映画よりも歌舞伎の方が権威があるけど俺の周囲に歌舞伎を見るのが趣味の人はいないぜ、とか、そういう。
相手の「歴史が長く権威ある文化こそ至高」という基準に対して「多くの人に愛され多くの人に喜びを与えた大衆文化こそ究極」という物差しをぶつけるみたいな動きです。
いやまあ、結局いわゆるオタク趣味ってそんな売れてもないし、私は LIGHT WING (打ち切りになったジャンプ漫画)も好きだし、ガンダムX(打ち切りになった)も好きなので早々に上手く行かなくなると思いますけど。少なくても権威に抗う価値観の第一歩として選ぶ道はあったと、そう思うんです。


だからfateは文学とか言ってるのを見ると、「文学は娯楽作品より上っていう価値観の中で権威におもねって肯定するの違くねー?」って思います。あと好きな曲を国家とか言い出すのも。
そんなに権威が好きかぁぁ!!
閑話休題


で、そう考えると売り上げ厨的な価値観というのは別の道を選んだ自分だと、そういう風に思っていたのかな、と思います。
あいつは……あいつは俺だったんだよ……!LIGHT WING もガンダムXも好きじゃなかった俺なんだ……!!俺と同じように自分の好きなものが権威の下に置かれて苦しんでたんだ……!それを守るための価値観を築いていったんだ!!
今は「そんなことなくねー?」って思う冷静さを持ってますけど。それは経験とか常識的判断とかが生み出す冷静さであって今でも「みんな私と同じような経験をして、同じようなことを考えてるんじゃないかなー」という感覚を持ってますからね。


まあ、そういう物語の中に売り上げ厨を置くのなら――――もしも相手が別の道を歩んだ自分なら――――私は売り上げ厨を許さない。
同じ否定される痛みを抱えているはずなのに新しい権威の元で、誰かの好きなものを否定する売り上げ厨を許さない。
同じ馬鹿でも、同じ極端でも、「あらゆるものは同様に個人にとっての価値しかない」という方向にお前は行くべきだったんだよ。全部相対化してなにも否定しない人間になるべきだったんだよ。あらゆる権威を打倒するとそう叫ぶべきだったんだ。
私はあらゆる権威を打倒する。誰かの好きなものを否定するあらゆる物差しをぶち壊す。私は私の愛と、誰かの愛を無限に肯定する。
誰かの好きなものを否定しないと愛せないとか言うくらいならそんな〝愛〟なんていらない!新しい物差しで尊い卑しいを決めないと大事なものを守れないなんて、そんな考え方をオレは絶対に認めない!……なァにが〝売り上げ〟だ!そんなものはオレの怒りで焼き尽くしてやる!そうとも、お前がそうなら、それならば――――〝炎の魔女〟だ!


――――と、まあ盛り上げすぎたけどそういう風に思っていたんだと思います。いや別に私は権威好きだし、あらゆる権威を打倒したりしないよ……。
まあ、自分の怒りを見つめてそういうことだったのかなー、と考えたという記事でした。
冒頭に引用したHUNTERxHUNTERの台詞でこの記事を締めます。

その人を知りたければその人が何に対して怒りを感じるかを知れ