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冷ーえ切ーいった心ーにー 熱い風が駆ーけるー

つれづれなるままに

さて、近況報告もだいたい終わったし徒然なるままにふと思ったことを書いていくブログに戻ろうかと思います。
だいたい漠然と考えてることって昔から漠然と考えてることが多いんだけど、そうなると「あれ?これもうブログに書いたことあるっけ?」みたいな気持ちになって、記事のタイトルと内容の関連が薄いの本当にこういうとき面倒だ……。というかまだ40も記事書いてないのに書いたかどうかわからないのってお姉ちゃんちょっとどうかと思うの……。


さておき、また友人についてあれこれ。
インターネットのある文化圏では「友達がいない俺たち」と「リアルが充実している幸せそうな人たち」の対立関係を演出して一体感と共通の話題みたいなのを提供するみたいな風習があって、そろそろこの広大な文化圏をまとめるには無理のあるシステムだけど伝統なのでその名残が残っているみたいな印象ですねー。あんまり真面目に考えてもないのでてきとーですけど。


さておき、そういうアレもあってか友人がいないのが自分の不幸の原因であって、コミュニケーション能力があって友人さえいれば楽しく人生送れるのにみたいに考えている人をそれなりに見かける気がします。
かく言う私もゲームの対戦に付き合ってくれる暇な友人がいればいいのになー、っていつも考えています。お、それ引っ張るね。

さておきさておき、まあ実際これはいわゆるコミュニケーション能力と呼ばれるなにかを高めたり奇跡的に気の合う友人と出会って仲良くなることで改善されるお話だとは思うので大きく間違っているとは思わないんですけど、微妙に風潮に流され誤って自己認識しているのでは?みたいに思うことが多いのですよ。

実際にそういう人が周囲から声をかけられたりしてるのを見るとこう、人付き合いにそんな時間を使いたくないみたいな態度を感じるのですよ。実際に彼らが妬んでいる人と会話するような生活も送ろうとすれば送れそうだけどその選択を選ばないみたいな。
いや、本当にいわゆるコミュニケーション能力が低いとか魅力がないとかで、友人ができないという人は私が魅力を感じなくて視界に入れてないという生存者バイアスがかかってるだけな気もしますけどね。インターネットでまで面白くない人を視界に入れたくないですし。

つまり実は問題は好かれないとか出会いがないとかではなく人間から面白さを摂取する能力の低さが問題なんじゃないかと思います。あるいは人と接することに感じる労力が高いか。
別に人と仲良くすることもできるけど、それをやるのは面倒だし時間の無駄だからやらない、という人が多く「友人がないつくりたいつらい」みたいなことを言っているのではないか、そのように私には見えます。生存者バイアスっぽいですけど。
そうして問題を誤って捉えてしまって解決法の選択を間違えるのはとても悲しいと思うので自分を知ろうという話です。自分を知りなんとやらです。
ちなみに人間関係から楽しさを得る能力が低い人間がどうすればいいかは私はわかりません。とりあえず友人が欲しいのならゲームの対戦相手を探している人間を捜してゲームのルールを憶えればいいと思います。
はー……知り合いの人ときゃっきゃうふふと対戦したい……。