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私のすべて中世にして不吉予言書

「本当は、私は小説の方を読んでもらいたかったんだがね……」――霧間誠一



例えば私はジンジャーエールが好きなんだけど、この世界にジンジャーエールがなくて、ペプシコ社が「ペプしょうが」みたいな名前で同じ飲料を出してきたら「うっわ、また色物を出してきたなぁ」って思うんだろう。


あるいはこんな物語。
甘いミルク粥がこの世界に存在していることを知って「えぇ、甘い米料理とかあり得ないでしょ……気持ち悪い」と貴方は考えるとする。
しかし、そういえばおはぎという食べ物があったな、と思い出す。あれもうるち米やもち米とはいえ、米に甘い味付けをしている。それにそもそも餅の場合は甘くしている場合はけっこう多いぞ、と。
じゃあ、甘いミルク粥も意外とありなのかな、と貴方は考え直します。
しかし、おはぎが存在しない平行世界の貴方がやってきて「ご飯に甘いものを合わせる人をみて気持ち悪いから話しかけないでください」と言います。
甘いご飯を受け入れられるかどうかはたまたまおはぎの存在を知っているか知らないか、存在しているか存在していないかに左右されるということに気付きます。
さて、これまで話を聞いて自分が受け入れてこなかった多くのものは実は"おはぎ"が不在だっただけで、おはぎさえあれば受け入れることができたのではないかと気付きました。
それを知った貴方は気軽に色んな物を否定できなくなりました。自分の知らない、あるいはこの世界に存在していないおはぎの存在を否定することは誰にもできないからです。



なんだろう、思うに私が仲良くしている人の多くは人生のどこか――――だいたい高校生から大学1年生までの間くらい?――――でこんな感じのことに気付いて何も否定できないような時期があったような気がします。文化相対主義のこじらせと同じような感じで。
この文化相対主義やらなにやらを一度こじらせてみる、っていうのはインターネットですっごく馬鹿な人に見えなくなる手段の一つとしてそこそこ強くて手っ取り早い感じなのかな、って思います。けっこう多くの人が通った道っぽいし。
いや、もちろんやり過ぎるとそれはそれで「馬鹿だなー」って思いますけど。
最近ちょっとこの「手っ取り早く馬鹿に見えなくなるテクニック」ってないかなー、って考えてます。多分、中高生の頃の私ってそういうものを欲しがってた気がするんですよね。
その中で物事を雑に否定しない、っていうのはかなり有効っていう気はします。やっぱり否定しないの大事ですよ。いや、人に迷惑をかけてるでもないのに萌え袖という呼称を使ってる人を散々ボロクソ言っておいて何言ってるのって感じかもですが。
でも、まあこの相対化っぽいこと言ってる人がそんな内面優れているかと言うと、こんなものテクニックだし上手いこと言語化できればすぐ共有できるのかなー、って思います。


気が向いたら、馬鹿っぽさの分析とそれを回避できる簡単テクニックについてそのうち書きたいな、って思います。こういうことを私が言ったらだいたい気が向かないパターンですけど。
そういえば、気分を害したとか悪意とかそういうんじゃないですけど、この前ついてた「更新はよ」ってコメント馬鹿っぽいなー、って正直感じます。
前提として、お金を取ってるわけでもないので更新する義務私ないですからね、知っている人との馴れ合いでまあこういうことを言ったり言われたりするのは嫌いじゃないですけど、知らない人から礼節を欠いた態度で言われる理由まるでないですからね。私が「更新しなきゃなー」って義務感覚えるのは私の勝手ですけど、他人が「更新しなきゃ」って言い出すのは意味が分からない。
これどういう文脈で言われたんでしょうね。更新された方が自分にとって有益だというのが即相手は更新すべきであるに繋がる方なのか、ブログは更新するべきだという強い信念をお持ちの方なのか、あるいは私が「更新しなきゃなー」って言っているから他人もそれを言っていいあるいは言うべきだと感じたのか。


まあ、こういう自分がどうして相手のことを馬鹿だなーって感じたのかと、相手はどうしてそういうこと言っているかっていのを分析して、それをさっくり回避するテクニックはないかなー、っていうのを考えていることがありますっていう近況報告でした。おしまいっ。