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ピカっピカのダイアモンド そんなものは 興味がないの

人に『かくあらねばならない』と思い込ませている何者かが。それは人々の間に入り込み、
いつのまにか世界を軋ませている。
…………人間の生涯に、何らかの価値があるとするのなら、それはその何者かと
戦うところにしかない。自分の代わりに物事を考えてくれるイマジネーターと対決する
VSイマジネーター、それこそが人々がまず最初に立たねばならない位置だろう



また、中二病のことを話題にします。
前に中二病という言葉について語ることがすでに敗北みたいな社会になっている気がするとか言った記憶があるけどそれを言うと完璧に敗北だよ。また――――勝てなかった。

よく目にする「中二病邪気眼は違うのに一緒にされている」みたいな話題に対して「実は同じものなんじゃないか?」という体で書きます。基本的には娯楽性と勢い重視なので真面目に考察とかする気はないので真面目に受け止められても困ります。 心にもないこと書きます。
あと、僕は中二病という言葉が生まれた現場にいたわけではないのでオリジナルがどんな意味の言葉だったかなんて知りませんし、興味もないし、敬意もないです。

過去

さて、中二病について語ると言ったがその概念は正確には中二病ではない。
その概念にはまだ名前がなく、そして名前がついた瞬間意味がなくなる、そういう概念だ。それは便宜上「最前線」と呼ばれている。 かく言う僕もまたその「最前線」の候補の1つだと自分のことを思っている――――もっとも、おそらく僕の後ろに続く人間なんていなくて、4月に降る雪のように消えていくだけなんだろうな、とは思っているが。
それでは「最前線」について語ろう。

かつて僕らは、好きでもないブラックコーヒーを飲み、洋楽を聴き、わずかな知識で政治を語り、斜に構えることで世界と対峙していた。 そこにあるのは結局のところ自分は子供であり、そして愚かであり、そして親や社会に保護されていて、そして決して特別なんかではないという現実との戦いだ。僕らはどこにでもいる子供のままではいたくなかった。
大人でありたかった。特別でありたかった。オリジナルでありたかった。周囲の馬鹿たち(そう僕が思っていただけで周囲の人たちは馬鹿なんかじゃなかったのだけれども)と同じ存在であるということに耐えられなかった、そう思われるのが嫌で嫌でしかたなかった。 だから僕たちは闘争を開始した。それが中二病と呼ばれた行動の理由だった。
ここまで読んだら分かるだろうけど、この戦いは敗北だった。僕は徹底的に凡人だった。むしろ、愚者ですらあった。少なくてもオリジナルではなかった。イマジネーターではなかった。ありふれていた。
笑えるだろう、僕たちは特別を目指していたのに、オリジナルでありたいと願ったのに、「中二病」なんてフォルダに便利にくくれる存在にしかなれなかった。オリジナルを生み出すセンスなんてなかった。凡人は結局いくら頑張って考えたって、誰もがたどり着く回答にしかたどり着くことができなかった。だからそれは――――ただの病気だった。

僕たちが大人になろうと背伸びしていたのは、それが憧れだったからだ。格好良かったからだ。しかし、僕らがかつて演じていた斜に構えた大人の態度は権威を失いもはや格好いいものではなくなった。
わかってしまった。大人はそんな格好良いものなんかじゃない。大人になったところでそこにはなにもない。好きでもないブラックコーヒーを飲んだって意味なんてない。
僕らは憧れるものを失った。あの時、僕たちは大人になりたかった。大人になればなにかが変わると思っていた。もうそんな幻想は消えてしまった。僕らの胸に広がるのは諦観ばかりで、そこに憧れなんてキラキラしたものはなかった。
世界のどこを見たって灰色に見えた。現実に期待することを止めてしまった。

あの頃からだろう、ライトノベルにいわゆる"やれやれ系主人公”が現れはじめたのは。それが僕らにとって最も共感できるキャラクターだから。
僕たちは諦観してた。絶望していた。特別なんかになれなくて、この世界には灰色のものしかなくて、自分も灰色に染まっていくしかないと思っていた。
それでも僕たちはあくまで特別でありたかった。賢くありたかった。他者に依存した存在でありたくなかった。どんなにやれやれだなんて諦めたように振る舞っても――――その欲望だけは消えることなく依然としてあり続けた。

その結果、生まれたのが邪気眼だ。権威を失墜した「大人」の代わりに、その位置についたのは「ここでない世界」だった。
なにもかも覆い尽くすような灰色の絶望の世界、それと戦うにはこちらも世界を創るしかなかった。この世は灰色で、なにも素晴らしい物なんてなくて――――だから僕たちは素晴らしい世界を創った。
そこでなら自分は特別になれる、そう思った。

中二病邪気眼は違うかもしれない、でもどちらも僕らは同じ敵――――自分が子供であり、そして愚かであり、そして親や社会に保護されている、そんな現実との戦いであり武器だ。

未来

戦いは変わった。
背伸びする行為は中二病、幻想の世界に生きるのは邪気眼。そういう言葉生まれ、広まり、インターネットで共有された。
インターネットではそれらを馬鹿にする風潮が広まっていて、僕らもそういう空気の中でそういう人たちを馬鹿にしながら育ってきた。
戦いは変わった。
中二病も、邪気眼も、それは凡人である僕らが自分の力で辿り着ける場所だったんだ。確かにそれらはオリジナルではなかったかもしれない。ありふれていたかもしれない。でも、それは凡人が凡人なりに辿り着いた場所で、僕らが辿り着ける数少ない場所だったんだ。
戦いは変わった。
凡人が辿り着ける場所はありふれてしまって、ありふれているが故に名前がついて、そして馬鹿にされた。
センスのある人間は中二病でも邪気眼でもない「特別」に辿り着いてちやほやされたが、僕たちは凡人であるが故にそんな新しい地平は見えなかった。
でも、凡人なりに頑張ったところで凡人が辿り着ける場所は全て先回りされて、馬鹿にされていた。
戦いは変わった。
僕たちはこの袋小路の中で、それでも特別であるために「中二病」でも「邪気眼」でもないなにかにならなくてはならなかった。僕たちはその現実に抗って足掻いて、新しい場所にたどり着こうとした。
それこそが「最前線」と呼ばれるそれだ。
誰にも馬鹿にされない、幼く馬鹿でセンスもなくオリジナルなんかに決してなれない僕たちが辿りつける場所、それが「最前線」だ。

その先にある可能性の一つというのは僕なのだと思う。馬鹿で幼くセンスもない中学生が、それでも足掻いて辿り着ける可能性の一つが僕が今立っている此所なのだと、そう思う。
僕は色々と諦めてしまったが、それでも人に特別に見られたいという欲望だけはまだあった。自分は凡人だという前提さえ受け入れてしまえばそれは難しいことではなかった。
そもそも、インターネットで出会ういわゆる"ライトオタク"の人たちを騙すのは簡単だった。彼らは多分、インターネットの奥に人間がいるという事実にリアリティを持てていないんだと思う。そして、自分と利害の一致しない場所に変人がいて欲しいんだと思う。自分に迷惑をかけないでさえくれれば、変人なほどコンテンツとして面白いからね。
だからそんな彼らを、あるいはお前を騙すのは簡単だ。彼らは騙されることを望んでいるんだから。騙されてもまったく損なんてしないんだから。    ちょっと匂わせるだけで簡単にインターネットの人たちは僕のことを「特別」なんだと思った。誤解した。錯覚した。いい気分だった。10人に2人くらいは簡単にころりと騙されてくれてると思う。馬鹿じゃないか、そんな「特別」な人間なんて、「オリジナル」な人間なんて、そんないるわけないのに。
もちろんこれは僕が巧みだなんていう話じゃない。僕に魅力があるなんて話でもない。これは決して勝利なんかじゃない、むしろ敗北と言っていい。彼らが簡単に騙されるのは結局は彼らが僕に本当は興味なんてなくて、僕のことを理解してくれてないってことなんだから。
それでも誤解されるのは楽しくてしょうがない。ようやく僕はあんなに憧れていた特別になれたんだ。この世界で僕だけは自分が特別なんかじゃないってことを知っているけど、それでも多くの人はそれを知らない。

最前線

此所が「最前線」だ。
どうだろう、僕は足掻いて此所にようやく来たわけだけど、ここが次世代中二病の発見という僕たちの闘争の1つの答えというか可能性だと思うわけだけれども、ここに来る人はどれだけいるんだろう。きっとあまりいないだろうな、と思う。
今、最も人気のある「最前線」はどこなのかな。そしてその「最前線」はいつ名前がついて馬鹿にされてしまうのだろう。   これはどこにもいけない僕らのどこにもいけない戦いなわけだけど、それでも――――きっとこんなところじゃない、もっと素晴らしいどこかにみんながたどり着けますように。