読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ここにー理ー解者がひぃとおりぃ いぃるんだぁけどな気ぃ付よおおぉ

うん、直感的な操作はわかったから。前verの操作に戻す項目はどこにあるのかな?


 やる気しないから逃避代わりにブログ書く。
 そういえば「コメントもらったことないし次はコメントもらうのを目標にやってみようかな」ってぼんやり思ってたらコメントついてた!やったね!
 この歌詞をてきとーに持ってきてタイトルにするスタイルとか、「日記は三日坊主だからいいんだろうが」っていう格好いい台詞とかがモロパクりなのがわかる人に読まれるのちょっと恥ずかしい。


 自分でも不思議なのだがバージョンアップ時の説明などに「直感的な操作になりました」などと書いてあるとつい「なーにが直感的な操作だ」などという皮肉な気持ちになってしまう。自分自身この“直感的な操作”の恩恵を受けている身としてはかなり恩知らずな態度だ。自分でも不思議でしょうがない。
 “直感的な操作”というものについて考えてみるとこれは軸が2本あるのではないかと気づいた。“慣習的かどうか”と“自然かどうか”である。

 そもそも前提として計算機というものはあまり直感的な代物ではない。もちろん計算機といえど物理法則に従って当たり前に変化するものなのでハードに対してそれなりの造形があり、アセンブルした後の速さのことまで考えるような人間にとっては直感的な代物なのかもしれないが、私のような(そしてほとんどの利用者のような)計算機のことを「よくわからないけど便利な箱」と認識している層にとっては計算機というのはまったくもって非直感的で不自然な代物である。日常的に触れる道具というのはその多くが連続的かつ可逆的な操作であることが多い。例えば車のハンドルの場合、ハンドルは回転量に比例して連続して向きを変えていく。それにハンドルを逆に回すと方向を戻せる。それに比べて計算機ときたら0/1で動き次から次へと上書き保存して過去の痕跡を変えてしまう。日常的に触れる道具にこんな性質を持ったものはなかなか思い付かない。これは非直感的といわざるを得ない。
 さんざん計算機は非直感的と言ったが今日、多くの人間が計算機に触れて使いこなしている。これはGUI( Graphical user interface )のおかげだろう。画像で表現されるディスプレイと、マウスという画期的なポインティングデバイスによって“直感的”な操作が可能になっている。直感的でない計算機とユーザの間にこういったものをおくことで直感的な操作を可能にしている。


 ちなみに、CUI/TUIが先に普及してGUIがあとから現われたみたいな書き方をしてるけど、それは違うみたい。民生用ではCUI/TUIのほうが先に普及したけど、軍事システムとしてはGUIのほうが需要があって先に実用化されてたみたい。例によってどこで聞いたかわからんぽんな話だから知識アッピルに用いるときは自分でちゃんと裏を取ってからしてね。恥かいても私は責任取れないよ。


 閑話休題。
 とにかく計算機というあの意味不明な箱は内部で異質で非日常的な操作を行ってる不気味な存在だ。そこをユーザと計算機の間にあるインターフェースで誤魔化している。というのを前提としたい。前提にできるほど説得力のある前書きをかけていないし、本当にそうなのかは自分でも怪しいが、とにかくそこを前提として次からの文章を書く。

 最初に述べた“慣習的かどうか”と“自然かどうか”という2つの“直感的な操作”の軸の話に移る。
 “慣習的かどうか”という軸はつまり「使い慣れているから使いやすい」という軸だ。これは過去計算機を使ってきた経験によって作られた直感だ。
 例えば「文字を検索したい」から[Ctrl]+[F]を押すという動きはまず予想できないが私たちはそれをすることで文字を検索することができると知っている。これは Common User Access という「みんなこーいうアプリの操作や見た目は揃えようよ、覚えるの大変だから」的な規格があるのだ。[Ctrl]+[X]で切り取りとか、そういうの。ちなみにこれは emacs とか vi とかが作られたあとに作られた代物だから emacs や vi は従ってなくて新規参入のハードルが高くなっている。私も vi 使い始めた直後は「くっそわかりづれーなぁ……なんだよこれ」って思っていた。
 他にはプログラミングにおいて"x=a"と書くと"xにaを代入"という意味になって、ちょっと慣れてるとスラスラ読めるしわかりやすい。でもこれ小学生から習ってきた数式の使い方とまったく違うじゃん。まったくもって非直感的な代物じゃん。なんだこれ。どう考えても"if(x==a)"よりも"if(x=a)"のほうが直感的だし、"x=a"は"x<-a"あたりだったほうが初心者も混乱しなくていいだろうって思う。でもそんな言語があったら慣れてる人は混乱するし「そんな非直感的な意味分からん言語やめろ!慣習に従えよ!」ってなるわけよ。


 書いてるうちに口調が崩れてきた。っていうか、これ途中でちょっと用事入って時間置いたから気分がかわった。


 それに対して“自然かどうか”という軸は「普段触れてる道具に似ているかどうか」みたいな話なわけよ。つまり連続的かつ可逆的な操作の道具に似ているかどうかという話でこれは過去計算機以外のものを使ってきた経験によって作られる直感ね。


 飽きてきた。


 ここで前提の「そもそも計算機の内部の処理って全然直感的じゃない」を持ってきて、そこから「計算機資源が豊富になってきたり色んな人が使うようになってきた近代だから“自然かどうか”軸の直感的な操作のノウハウがたまってきたねー」って話する。でも言語のところにちょっと書いたけど「それは“慣習的かどうか”軸で評価すると慣習的でないので使いづらい」っていう結論を出して「はー、技術の発展よりも制度や人の慣れが変わる速度って遅いから大変だねー、どこかで痛みを覚えないとねー」みたいな話に繋げるつもりだった。
 
 まとめるとこんな感じにしたかった。


1.直感的な操作には「慣習」と「自然」があるよね!(用語定義)
2.計算機の内部処理って全然自然じゃないよね!
→3.だから前の計算機って「自然」じゃなかったよね!(前提1)
4.慣習っていうのはこれまで計算機を使ってきた経験から生まれるものだよね!(前提2)
5.最近どんどん「自然」な感じで操作できるようになってきたよね!
6.「自然」じゃない計算機を使って作られた「慣習」は「自然じゃないものを使いやすい」と感じる「慣習」のはずだよね!
(「3.だから前の計算機って「自然」じゃなかったよね!(前提1)」+「4.慣習っていうのはこれまで計算機を使ってきた経験から生まれるものだよね!(前提2)」より)
7.でも「自然」な方がいいんじゃないのー?新しい人はそっちのほうが使いやすいよねー
8.新しいユーザ、か古いユーザのどっちかが我慢しなきゃだよね?
(「6.「自然」じゃない計算機を使って作られた「慣習」は「自然じゃないものを使いやすい」と感じる「慣習」のはずだよね!」+「7.でも「自然」な方がいいんじゃないのー?新しい人はそっちのほうが使いやすいよねー」より(
9.こっから似たような構造を持つ色々な日常的な事例にジャンプ!!


 なんか武士沢ブレードを思い出す記事ですね!気が向いたら続くよ!!