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現実はっ何なのかぁ 真実はっ何処ぉなのぉかあぁ

自由を愛してるわけじゃない、ただ私は自分の欲望を愛してる。
そして、欲望を満たすのにたまに自由が必要になる。

私さ、何かもっと前向きな記事を書こうと思うんだ。
このままだとちょっと後ろ向きな記事を書くネガティブなブログになってしまう感じあるじゃん。私なら書けるともさ、ちょっとネガティブ入った思考は得意分野だからあと20から30記事くらいは書こうと思えば多分書ける。っていうか普段考えてること、思ったことを書いたらだいたい多分あんな感じになる。
いや、流石に普段から永遠のものがどうとか考えてるわけじゃないけど、流石にちょっとテンション盛ってるけど。っていうか直前に少女革命ウテナを観てたからその影響を多分に受けた結果として永遠のものとか言い出しただけだけど。
一応、奇跡と輝けるものと王子様ごっこっていう単語全面に押し出す記事はいつか書きたい。


正直、あんな記事が20も30も並んでたら私は嫌だね。10超えたあたりからRSSリーダが更新したと伝えると同時にちょっとうんざりした気持ちになりそうだし、20過ぎたあたりで多分読者を止めるね。
だから読み味の違うバラエティに富んだ記事を書こうと思います。っていうかここらで好き放題書いて置かないとなにか楽しいこと考えてもここは鬱っぽいこと書く場所だから……ってなって書けない雰囲気になりそう。私は好き放題書きたいの。

好き放題書くためにいくつかのテーマを儲けます。
・すごくどうでもいいこと
・数少ない人にしか通じないこと
・知識が足りないことや、頭が悪いことが露呈するかもしれないことを書く
こういったことを書いたという実績がある限り私は今後ちょっとでも(書きたい!)って思ったことを書けると思うのです。

・すごくどうでもいいことを書く理由
すごくどうでもいいことを書きます。文章を公開するのだからなにか読んでる人がなにか楽しんだりできるような文章をなるべく書きたいと思うけど、それしか書けないのは不自由だなって思うのです。
例えばこのはてなスターっていうの貰えるの嬉しい。引用されるの嬉しい。言及されるの嬉しい。嬉しいけど、評価されるのを狙って書いていっていつしか評価されるために評価されやすい記事を書くようになってしまうのではないかみたいな危惧があります。
上記のようになるべく喜んで欲しい、スターを貰うのは嬉しいからなるべく欲しい、それはその通りなのよ。その欲望を満たすために自由に振る舞った結果としてそういう風になるのはいいんだけど、別に評価されない記事を書いて公開するという選択肢を常に持っておきたい。
私はリアルでは風と呼ばれて慕われていてね。風は――――囚われないから風だ。

・すごくどうでもいいこと
最近サプリメントを買うのがちょっと楽しい。なんかいくら寝ても眠いんで栄養不足なんじゃないかと疑って、サプリメントを回にドラッグストアにいったのよ。DHCの健康食品ってやつ、安くて種類がいっぱいあってなんか楽しい。燃える。とりあえず亜鉛買ってきた。またいく。


・数少ない人にしか通じないことを書く理由
これも書けるのと書けないのとでは息苦しさというか自由さが大幅に変わると思うのよね。ついた読者を放したくない、多くの人に興味ないことばかり書いてたら離れていっちゃう、興味ないことが書かれてたらいろんな人が時間を無駄にして集団の総幸福量が下がっちゃう、せっかく読んで貰えるのなら読んでくれる人がみんな分かって貰えることを書こう。
はっ、くっだらねー。読者だって知能ある個体なんだから情報のフィルタリングくらい向こうでやってくれるよ。だから私は多くの人に通じない/多くの人が興味ないことを書いていこうと思います。

・数少ない人にしか通じないこと
MTGって始めたばっかりでよくわかってないんだけど最近ニコル・ボーラスとか空虚への扉の使い方とか考えてる。空虚の扉って多分、境界なき領土から発動かなぁって気がするけど7マナかぁ。基本的に緑にしてマナブーストするのか、めっちゃ除去して遅延するのか、白とか青とかの奇跡ってど派手にリセットしたりターン追加したりするからあのへんで遅延しまくる方が筋いいのかなぁ、とか。

・知識が足りないことや、頭が悪いことが露呈するかもしれないことを書く
わりと深刻にインターネットの私は背伸びして頭よさそうに自分を見せることを頑張りすぎてると思うのよね。やたらといい格好しいというか。もっとこう、等身大の自分を出せるようにならないと、きっといつか何も言えなくなっちゃうわ。正直、ブログとかTwitterは短文だからなんとか誤魔化せるけど長文書くと頭悪いのばれるじゃないですか-!やだー!とか思ってましたからね。
小説を書く趣味があったりなかったりするのに才能ない人だとばれるのが嫌で公開してませんでしたし。っていうか小説を書く趣味を全面に押し出して人に読んで欲しいと他人に要求する人って面倒くさいし。だいたい、競争を勝ち抜いてプロになった作家のお金を出して読んでる作品ですらめっちゃ楽しめないの多いのに、アマチュアが趣味で書いたのとか期待値的に時間を使う価値ないと思うのよね。読むだけ損だと思うのよ、少なくても期待値では。だから自分が書いたのを読めだなんて基本的には言いたくないの。いや、別に言うけど。言うけどそれは相手を損させて私が楽しいことを好意を武器に押しつけているという覚悟があってやってるの。あとまあ経験上、インターネットで小説を書くことを趣味にしてるやつは高確率で気に入らん。漫画描いてる人は好ましいけど、小説とか。絵も描けなければ、音楽もできない人間が逃げ込む場所っぽいじゃん。私そういう人に思われたくないの。
閑話休題。
つい筆が踊っちゃってあんまり関係ないこと書いた気がする。(読み返さない

・知識が足りないことや、頭が悪いことが露呈するかもしれないこと
今日、Twitter上でC++の構造体とクラスがわっがんねーって言ってる人がいたから「文法上実装上はクラスと構造体ってアクセス制御の初期値が違うだけとかそんなんだった気がしますー」みたいなこと言ったんだけど実際、クラスと構造体ってなんなのかしら。
Cとの互換性の関係で構造体が必要なことはわかるし、それとは別にクラスっていうのがナウいし必要なのかな-、だからあんなよく似たものがあるのかなー?くらいに思っているのだけれども。
構造体の場合はクラス関数をあんまり持たせない気がするけどそれが慣習なのか、それともなにか哲学的意味がありますか?的なことなのかイマイチわからんのよ。
こう、実装上文法上同じような物でも概念上意味論上別のものってあるじゃないですか。ポインタと配列は意味的には全然別のものだけどああいう風に書かれてる的な。
だからもしかしたら構造体とクラスも概念上意味論上全然別のものなのかなー、って言ったあとずっと考えてた。
これあとで気が向いたら調べましょう。(これ書いてる間に調べれば解決した気がする