プライド・オブ・アンダーグラウンド NaNa NaNaNa~♪

 馬鹿だな。推敲なんてしたら1文字も残らない。なにも考えないからインターネットに文章なんてあげられるんじゃないか。

すごく寂しい気分だからブログ書こうと思うの。寂しい→ブログ書く の因果関係はよくわからないけど寂しいのでブログ書くの。
本当は、すごく寂しいから今すぐSkypeつけて誰かにチャット飛ばしたり、Twitterで誰かとリプライ投げあったりしたいけどあえてブログ書くの。



あのあねあのね、たまにすごく深夜に寂しい気持ちに襲われることがあるの。そういうときは誰との友情も信じられなくて、この広い世界に一人ぼっちみたいな気持ちになるの。
正直今、すごく友達が欲しい。この友達が欲しいっていうのは今現在仲良くしている人全員に貴方のこと友達だと思ってませんわって言うのと一緒だからあんまりよくないなー、って思うんだけど、そんな気を使う余裕がないくらい友達が欲しい気分なの。
手首切ったら痛そうだし、痕が残るし、だいたい人からの評価下がるし、なにより痛そうだし、で決して切ったりしないけどああうん、手首切ったら誰かがかまってくれるなら手首切る人もいるかなーって気持ちになるの。そりゃ、他人を心配させるからそういうのよくないんだけど寂しさの前にはそんな集団の総幸福量を上げようみたいな正義はどうでもよくなるの。
とにかく負の感情がひたすら高まっていくのを感じてる。自分に自信がないから、人から好かれるなんて事態は信じられないし、そういうとき過去の経験を根拠に否定しようにもあー、そういえば色んな人に飽きられて通り過ぎられるだけの人生だったなーみたいな気持ちになって今仲のいい人も全員ただ消えるだけみたいな気持ちになるの。
つい数時間前まで5年か6年くらい仲良くしてる友人とネット越しにカードゲームで遊んでおいてなに言ってんのお前?っていう客観的な意見も脳内から提出されるけど、圧倒的な負の感情の前にはそういうの焼き石に水なの。
きっと次から次にみんな私の前から消えていって、寂しさを誤魔化し誤魔化し生きていって何年かあとに「あー、なんで生きてるんだろうなー」って深い絶望を抱くに違いない、という予想で頭がいっぱいだし、遠い未来の自分の絶望に感情移入してこの時点でかなり絶望的な気分なの。


ところでこの寂しさってやつは本当に私がリソースを割くべき問題かね。
さっき、深夜になると寂しくなるっていったけどなんで深夜なの?別に一人でいる時間なら真っ昼間でもよくない?平日の昼間は忙しいから寂しくなる時間なんてないにしても休日家でゴロゴロしてる昼間とかに絶望してもよくない?
なにか心理的な理由があるのかもしれないけど、私は別の路線で仮説を立ててみました。この深夜に襲ってくる寂しさというやつの原因は深夜に起きていることによる脳への悪影響ではないかと。なんかこう、脳の連続稼動時間が増えることで、某かの神経伝達物質が分泌されて、寂しい気持ちになる、みたいな?いや全然そのへんの分野詳しくないんでわかんないけど?てきとー言ってるけど?でも思い付いてみるとそうとしか思えないのよ。
実際、深夜に寂しい寂しい言っておいて寝て起きればわりと寂しさとかどうでもいいからね。経験則でいえば寂しさなんて毛布被って通り過ぎるのを待ってれば止む問題だからね。
寝て起きればどうにかなる問題ってさー、わりとどうでもよくない?この寂しさってやつはそんな真面目に取り組む問題じゃなくない?
つまりさ、これ物質的に解決できる問題だと思うのよね。思想とか哲学とかじゃなくて。だからこの寂しさについて考えるのってリソースの無駄だと思うのよね。
いや他になにもなければ私だって寂しくてつらいからどうにかするかー!って思うかもしれないけど。それなりにつらいんでサプリメントとかカフェイン飲料かなにかでそれ解決しますよ-って言われたら飲むけど。なんか解決法ないかなーってググったりするけど。でもさー、他にいくらでも考えるべきことってあるじゃん、取り組むべき問題ってあるじゃん。


寂しさは毛布被って過ぎ去るの待てば解決するかもしれないけど、〆切りは私が作業しないと近づいてくるだけなんだよ!メールは返信しないと怒られるし、怒られたら面倒くさいし、書類は書かなきゃ白紙だし、デッキは練らないと勝てないし、皿は洗わないと綺麗にならないし、三角コーナーは捨てないと異臭を放つし!!色々大変なの!!
だから寂しさは無視する。決めました。これは無視していい問題だ。寝ればいいじゃん。寝よう。寝るために今日やるべきことをやろう。今日やるべきことをやるために逃避目的でブログ書くの止めよう。とりあえずこの記事完成させてアップロードしよう。
はい、解決したよ!やるべきこと見えたよ!寂しさという問題は解決しました!おしまい!!