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永遠があるという城を求めて

インターネットに永遠のものはあるのだろうか?
もし、永遠のものがないのなら――――軽薄にその時その時楽しく過ごした者勝ちじゃないか。


Twitterユーザがブログを始めたというと、Twitterの軽薄な、その場の寂しさを紛らわすための繋がりや、人間関係への疲れ、簡単に出るお気に入り登録数をただ稼ぐことへの疲れなどと思われるかもしれない。
ここを読む人であれば知っているかもしれないが、僕には一時期Twitterでお気に入り登録を稼ぐことに執心していた時期があった。
Twitterには「面白いことを書いてお気に入り数を稼ぐことにはなんの意味もない、そんな使い方をしているやつは馬鹿だ」というような主張をしている人間が多くいたが僕にはそれがわからなかった。じゃあ、意味があるTwitterの使い方とはいったいなんなのか、そんなものがあることを前提に語る彼らと僕の間には深い断絶が存在していた。
例えばTwitterを通じてお金を稼いでる人がいるのならば――――そしたら僕はその人に馬鹿にされることを受け入れよう。金は社会的にみて価値があるものだ。社会的価値観で比べたなら、時間を浪費する僕よりも賢い使い方をしているといえるだろう。
あるいはTwitterを通じて、永遠の友達――――ただ寂しい夜を忘れるためだけじゃない、もっと価値のある関係を築いているのならそれは確かに価値があるだろう。そう、それは僕が求め続けている永遠だ。
でも、僕はTwitterで友達が得られるだなんて信じられない。Twitterでお金を稼ぐとしてそれが他の労働手段より稼げるとは思えない。だから、Twitterに永遠はない
Twitterで得られるあらゆるものは無価値で――――だからこそ僕は自分の好きに価値をつくった。お気に入り登録数に普遍的な価値がないことくらい僕だって知っていた。でも僕は価値があるということにした、だからそれには価値があったしそれを稼ぐことは楽しかった。どうせ、Twitterで得られるものは全部無価値なゴミクズなんだ、僕の好きに価値を決めさせてもらう、そう思ってた。

永遠がブログにあると信じてTwitterをやめた人は何人も知っている。
きっと彼らはこう思ったのだ「Twitterの寂しさを埋めるためだけの人間関係は永遠じゃないすぐ消えてしまう幻だ。だが自分の思考を洗練させて文章として残すという作業で得られる成長。それはきっと永遠のものだ」と。


多くの人が参加する趣味で繋がった掲示板にも、少ない人間が集まる身内感の強い掲示板にも、Skypeにも、初めてのブログにも、Twitterにも、ザ・インタビューズにも、創作ごっこにもにも、永遠はなかった。ただその瞬間楽しいだけで全ては僕の上を通り過ぎるだけだ、インターネットのどこにも永遠はなかった
きっと今回のこれも今この瞬間ちょっと楽しいだけさ、なにも変わらない。なにも残らない。なんの価値もない。なんの意味もない。
認めろというのなら認めてやるさ、僕は永遠のものが欲しい。永遠のものをインターネットで探し続けている。でもそんなものどこにもなかったんだよ。それでも僕は永遠のものを探し続けてこんなものまで始めてしまった。